鉄の町・北九州で赤帽軽運送店開店

2019/07/01 ブログ

赤帽運送店を開業したのは、昭和62年。

28歳のときでした。

 

勤めていた小学校向け教材会社の経営が怪しくなり、社長から退職してくれないかと懇願されて(苦笑)、雀の涙ほどの退職金を手に離職。

 

ふたりの子供はまだ幼く、毎日職安通いをしましたが、当時は、今と比べ物にならないくらいの不景気の風が吹きまくっていて、再就職はむずかしく・・。

 

失業保険が切れるころに、新聞広告で見たのが、「赤帽開業」の募集広告でした。

 

 

軽トラック一台で誰でも簡単に運送業を始められる。

この内容はまさに、僕にとって「晴天の霹靂」でした。

 

そうか、他人に雇われるばっかりが、人生じゃないんだ。

 

そう思って、説明会に参加。

 

それから、眠れない夜を何夜も過ごし、逡巡に逡巡をかさね、ついに開業を決意。

 

親から借金し、辞めた会社から貰った雀の涙の退職金を投入して、昭和62年3月、ついに運送店開業に至ったのです。

実は、失業中に、デパートのお歳暮配達のアルバイトをしていまして、「宅配」という仕事が、僕の性に合ってるのかなあという想いがありました。

 

なので、「宅配をする」という感覚でこの仕事に飛び込んだのですが、案に相違してというか、仕事の中心は、なんと「引越し」だったのです!

 

それまでの僕は痩せっぽちで、非力で、不器用で、とてもとても「引越し」なんていう「ガテン系」の仕事なんてとんでもないという男でした。

 

しかし、その頃の北九州市は、たしかに4大工業地帯のひとつでしたが、不景気の波にさらされ、「鉄冷え」という呼称がピッタリの町でした。

 

かつて賑わった「鉄の町」は、斜陽のときを迎えていて、人口減は留まるところを知らない有様でした。

 

人口流出という事態が興隆させる仕事は何か?

 

そう、「引越し」です。

 

非力な僕の苦闘が、それから始まります。

この続きは、次回ということにさせていただきます。